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日本語メディアに登場したのはこのE Cube(7,500部発行。NZと日本で無料配布)が初めて!Hayley初の日本メディアインタビュー記事をご覧下さい。写真は不肖私ohaが撮らせて頂きました。E Cube 2002年7月号より。情報がちょっと違うなぁ、というものに関しては()書きで書いておきました。とは言っても過去の記事がどれほど正しいのかわからないけれど。(苦笑)

 

世界デビューを果たすクライストチャーチのライジング・スター


世界デビューを今年9月(オフィシャルにはまだ発表されていない)に控えロンドンでのレコーディングの日々を過ごしている。
15歳のクライストチャーチ出身のクラシックとオペラを歌う女の子がルチアーノ・パバロッティやデイム・キリ・テ・カナワなどビッグネームが所属するレコード会社から世界デビューを果たす。
小さい頃から歌ったり、踊ったりするのが好きで、その才能を学校の先生に見い出された。クライストチャーチからニュージーランド全土へと有名になり、今に至るまでの過程はサクセスストーリーと言ってもいいかもしれない。
日本で言えば高校一年生。世界デビューの前後から生活が全く変わってしまったと驚きを隠せない。忙しさから学業もままならない日々が続き、家族全員と一緒にいられる日々も少なくなってきているが、家族との絆を何よりも大切に感じている。
クライストチャーチで生まれ育った純朴なキャラクターがアイデンティティーとも言える実力派シンガー。日本でのデビューも間近だ。

 


マネジャーをつとめるフレンドリーな母ジルと。3人の子供が通う習い事の送り迎えで覚えた時間のやりくりがヘイリーのマネージングにも役立っている。ヘイリーの純砕さは母親ゆずり。

●小さい頃から光っていた才能
ニュージーランド中の小学校で学校行事の一つとして毎年のように行われている学内コンサート。時として天才の出現に出くわす。マネージャーをつとめる母のジルが明かす。

学校のコンサートと言えば、親たちが自分の子供のパフォーマンスを観に詰めかけ、歌詞を忘れてしまったり、音量をはずしてしまった子供達を応援し、泣いたり、笑ったりの家族の絆を強くする行事の一つです。ヘイリーは家でよく歌を歌っていましたので、主人と彼女のパフォーマンスを観に学校に行ったのです。ヘイリーは6歳の時初めて大勢の人の前で歌を披露しました。今思うとよく1人でちゃんと歌い通したなという感じでした。その歌を聞いていた先生が「ヘイリーは歌のピッチを完璧に覚えるなど、歌手としての才能がある。その才能を伸ばすためにもまず、バイオリンを習いなさい」と提案してくれました。この言葉がヘイリーのその後の人生を決める音楽との出会いになったのです。自分の子供の才能はなかなかわからないものです。それを先生はよく拾い上けてくれたと思いました。
7歳になった時にピアノも始め、ヘイリーは本格的に音楽に目覚めていきました。ふつう習い事をする時には親から強制される事が多いのですが、ヘイリーの場合は自ら願い出ました。その時にはもう楽譜が読めるようになっていました。その後、ミュージカルにも関心を持ち始め、演劇学校で「シンデレラ」を上演する旨の新聞広告を私の所に持ってきて「どうすればこのミュージカルの舞台に立てるの?」と聞いてきた事もありました。それ以来、路上でバイオリンを演奏したり、市役所から依頼を受けて無料で各家庭で歌ったり、ミュージカルのオーデションに参加したりしていました。11歳までにヘイリーは子役のヴォーカリストとして白雪姫、王様と私、不思議の国のアリスなど約40のミュージカルに出演する経験を積んでいきました。この頃にテレビでの「マクドナルド・ヤング・エンターテイナー」や「What's Now?」にも出演し、オークランドで行われる「コカ・コーラ・クリスマス・イン・ザ・パーク」でも歌っていました。
こんなところにしページが!

 


将来デュエットしたいと思っている歌手はパバロッティ、ドミンゴ、ボッチェリなど。

 

 

●自作のCDが運命をもたらした。
自作のCDを2回制作した。そのうちの一枚がヘイリーの人生を変える事になった。母親のジルが続ける。

「マクドナルド・ヤング・エンターテイナー」シリーズの最終回を観た年輩のファンが、ヘイリーにレコーディングを強く勧めました。約20枚のCDを知人や友人にプレゼントするつもりで制作しましたが、結局路上パフォーマンスをしているのを見ていた旅行者にも売りました。ある女性旅行者は私のハンドバッグの中にあったCDを売ってくれないかと言ってきた事もありました。
ヘイリーが12歳の時、親しくしていた家庭からお誘いを受け、5,000ドルでCDを1,000枚作りました。路上パフォーマンスで売ったり、あるCDショップではそのCDを置いてくれました。ヘイリーがだんだん知られるようになってきたこともあり、すぐに売り切れてしまいました。1,000枚のうちの一枚が、今のヘイリーのエージェントであるグレイ・バー卜レッ卜の元に届けられました。彼はとても感動し、先にデビューし、すでに人気もあったウェールズ出身のシャルロット・チャーチを凌ぐ存在だと確信したそうです。彼は「へイリーは歌に加えて、踊ったり、演じたりできる。私の元には何百というCDが届けられるが、その中でヘイリーのCDが目に止まった。長い間待っていたビッグタレントになれる可能性を秘めていると思った」と言ってくれました。

●飛躍の都市となった2001年
2001年はニュージーランドを代表するレコード会社ユニバーサル・ミュージックとの契約。そして、ビッグネームが所属するレコード会社デッカ・レコードとの契約をし、世界デビューとなる。ヘイリー自身が語る。

2001年は私の人生とってものすごく貴重な年でした。2月にユニバーサル・ミュージックとの契約をし、4月にファーストアルバム「Hayley Westenra」を発売しました。発売後4週間で45,000枚を売り、4週間ニュージーランドの音楽チャートで一位を取りました。7月には発売後最速でプラチナアルバムとなりました。11月には2枚目のオールシーズン聴けるクリスマスアルバム「my gift to you」を発売しました。オークランドのシビックシアターでのソロコンサートもこの頃に行いました。(実際には6月下旬から7月にかけてNZでソロコンサートを実施した)


1987年4月クライストチャーチ生まれ。15歳。
現在高校5年生。学校では国語、外国語、科学が好き。
宝石商を営む父ジェラルド、マネージャーの母ジル、
妹のソフィーはヘイリーのアルパムでバックヴォー力ルを担当、
弟のアイザックはテレビコマーシャルの子役として
出演する経験も持つ。
仲のいい典型的なニュージーランドの家族に育つ。

そして、12月に世界のクラシック・レーベル25%のシェアを誇り、ルチアーノ・パパロッティやアンドレア・ボッチェリなどが所属するロンドンのデッカ・レコードと契約する事ができました。今年は数回ロンドンでレコーディングをし、年末に発売になると思います。ユニバーサルではデッカ・レコードと契約する事は、オリンピックで金メダルを取る事と同じくらい大きな成果だと言ってくれました。それは大変名誉な事です。
将来はクラッシックかオペラの道に進むかまだ、決めていません。私の歌を聴いて、レッスンを申し出てくれたマルビナ・メイジャー女史は「私の声は多くの若い歌手が澄んだ声を持っている中でも特別で、無理をしないで自然に澄んだ声が出せる」と言ってくれました。さらに「私が成長して、声が成熟してからクラッシックの道を歩むか、オペラの道に進むかを決めても決して遅くはない」とアドバイスをしてくれます。女の子の声は大人になるに従って高い音程はさらに高く、低い音程はさらに低くなっていくものだそうです。

●学業との両立
歌手となってからのヘイリーはニュージーランドで一番忙しい学生となった。今年になってから生活が大きく変わってしまった。

今年は去年と比べて忙しさが全く違います。2学期は全部で10週間、70日あったのですが、学校に行けたのはわずか8日だけでした。でも、勉強も手を抜いていません。学校に行けなかった分は家庭教師から教えてもらっています。海外に行った時でもそれは同じです。余った時間を見つけて勉強をするようにしているのです。今はドイツ語、フランス語、そしてイタリア語にカを入れています。オペラでもクラシックでも語学ができなければ完璧に歌う事ができないからです。歌う事につながる勉強ならば全く苦にはなりません。
さらにジルが付け足す。デッカ・レコードとの契約の際にもヘイリーの勉強の件を盛り込みました。先方が6枚のCDをリリースする事を希望していたのですが私達は4枚と主張しました。結局5枚に落ち着いたのですが、その代わり、レコード会社の方でヘイリーの勉強のフォローということで家庭教師のアレンジをしてくれる事になりました。

●世界デビューと家族の絆
両親はヘイリーが才能を持っている事に気づいていた。しかし、それがどれほどのものなのかはプロが言ってくれるまでわからなかった。ジルが続ける。

ヘイリーが歌手となる前でも私達は3人の子供の才能を伸ばそうと時間とお金を費やしてきました。時に私は子供達のお抱え運転手ではないかと思った事もありました。多くの犠牲を払ってきてはいますが子供に才能があればそれを伸ばしてやる事が親の責任であると思っています。
ヘイリーの世界デビューを前にして思い返してみると、クライストチャーチにいながら、どうしてあのデッカ・レコードと契約できたのかと驚いてしまいます。それほどクライストチャーチは華やかな世界から遠いところにあるんです。
将来はレコード会社との契約の件もあリますので、イギリスに住む事になるかもしれません。しかし、当分の間はクライストチャーチを離れるつもりはありません。私達はクライス卜チャーチが好きなのです。水もおいしいし、私達の原点があるような気がしてなりません。何よりも、家族がいるからです。ヘイリーがクライストチャーチを離れる時は私が同行するのですが、そんな時には主人が宝石店の仕事をやりながら、下の二人の子供の世話をしてくれます。これ自体は負担ではないようなのですが、ヘイリーが歌う時にそばにいてやれない事が大変辛いようです。契約の時に言われたんです。「契約後、3~5年後の生活の変化への覚悟はできているか?」と。でも今は家族で一緒にいる事をできるだけ優先させたいと思っています。海外へも家族5人で行きたいと思っています。
クライストチャーチというアイデンティティーは家族の絆を意味します。世界デビューをしてもクライストチャーチを忘れる事はないでしょう。クライストチャーチは私達自身なのですから。

容量の関係で打ち直しましたが、レイアウトはこんな感じでした。

というものです。正直言って目新しい情報がないのが残念。僕がインタビューアだったらもっともっと突っ込んで聞いたんだけれどねぇ...
とにかく、この雑誌の意義は、Hayleyが日本デビュー前に日本語メディアに載ったということ!これにつきる。(笑)

この雑誌E Cubeをゲットするには、東京と大阪にあるNZ観光局、NZを扱っている留学エージェント(全てにあるわけではないらしい)に行って下さい。そして、もらえないだろうけれど、お願いすれば閲覧させてもらえると思う場所を挙げておきます。NZ各都市と姉妹都市を結んでいる市。この市の担当者にはE Cubeが配られているようです。順不同で列挙しておきましょう。
湯浅(和歌山)、加古川(兵庫)、宇都宮(栃木)、辰野(長野)、浦和(埼玉、今だとさいたま市?)、美幌(北海道)、箱根(神奈川)、三島(静岡)、長泉(静岡)、下総(千葉)、宮津(京都)、箕面(大阪)、匹見(島根)、古殿(福島)、福岡(福岡)、日立(茨城)、鎌ヶ谷(千葉)、別府(大分)、野々市(石川)、北茨城(茨城)、苫小牧(北海道)、北塩原(福島)、廿日市(広島)、西尾(愛知)、堺(大阪)、小谷(長野)、天竜(山形)、天瀬(大分)、倉敷(岡山)、高宮(広島)、塩沢(新潟)、小樽(北海道)、熊谷(埼玉)。以上、フー、疲れた。担当者の方にお願いして見せてもらってくださいね。

そして最後に、お決まりのようにお宝があります。そう、未公開写真を何点か公開いたします。このページのどこかにリンクされてます。じっくり探してくださいね。

これから出版される日本の雑誌ではもっと突っ込んだインタビューが読めるでしょう。それを期待しています!!

 

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