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NZで発行の雑誌「The Australian Women's Weekly NZ edition」2002年12月号より。


これを普通に書店で見ていても気付かなかったかも。この雑誌では今までにない大人っぽいHayleyの写真が一杯です。モデルばりの写り方!

HayleyってKiwiっぽい顔ではないんですよねぇ。

 

HAYLEY CHANGES HER tune

Hayley Westenraの最初の2枚のアルバムを聴いているファンは、世界デビューアルバムとなる新しいCDを聴くととても驚くことになるだろう。彼女は世界の音楽市場に強襲すべく、大胆な新しい音楽の方向性を打ち出している。

Christchurchにある緑の多い郊外のとある地区。その私有道路の奥に建てられた典型的なKiwiスタイルのレンガ造りの家は、Hayley Centralのヘッドクォーターである。LondonやNZ中からの情報の入手と同時に、世界進出する15歳のHayley Westenraが慎重にプランを練る場所、それがここなのである。

ご近所のリヴィング・ルームと似つかわしくなく、そこには、2台のパソコンやマイクスタンド、溢れんばかりの新聞の切抜きが入った箱、記念品、数千でなければ、数百の彼女の旅行やコンサートの写真が山のように置かれている。時々、次のアルバムのレコーディングのための検討用の歌のMP3ファイルをこのパソコンで受け取る。そして、情け容赦なく、コンサートの要望、どのキーで彼女はこの曲やあの曲を歌うことができるかという問い合わせ、ソールドアウトになっているコンサートチケットを入手できないかという友達からのお願いなどのE-mailが送られてくる。

同じようなものがキッチンの方にもある。Hayleyが評価しなければならない歌が入ったCDやテープと一緒に、長椅子がそこには山積みされている。そして走り書きされたメモやしなければならない懸案事項の紙などもそこにはある。

12歳と半年のSophieや9歳のIsaac、彼らにも音楽的才能がある、の両親としても振舞わなければならない母親のJillと父親のGeraldによって全てそれらは管理されている。

Hayleyはちょうど今年度の授業が終わったばかりである。(訳者注 NZでは12月が学年終了の月) 友達の家に遊びに行くことや”ビッグ・ウォーター・ファイトがある”ということがメモされている。今、彼女は経験豊富なプロをも挫かせる短長期の目標を考えることに集中している。しかし、この冷静な15歳の少女は自分のペースを保っているようだ。

当面の目標は何ヶ月もかかっている、しかし完成するまでにまだ数ヶ月を要する彼女の新しいアルバムを仕上げることである。このアルバムは3枚目になるが、ジャイアント・レーベルDeccaとのインターナショナル契約となる1枚目である。そして、前作のクラシック寄りのアルバムを聴いている人たちはこのアルバムを聴くと驚くであろう。

「前作とはちょっと違うわね。もうちょっとポップになるの。何曲かの曲にはケルティック的な要素があるわ。それらは実際に私がとてもエンジョイしているものなのよ。」とHayleyは言う。

Hayleyは色々な意味において並外れているかもしれない。しかし、彼女の”kind of(大体とかほとんどという意味)”や”sort of(多少とかまあまあという意味)””and I'm, like”のような口癖は、ティーンエイジャーと関わりのある人であれば誰でも親しみを持つことだろう。

「最初の2枚のCDには、私がそれまで歌ってきたものを入れたの。それらの歌は私が知っていた歌だけだったわ。今はもっと楽しめるものを見つけていると思うの。それらの曲はいくらかクラシカル的な要素があって、それに歌詞を付け、とてもかっこいいリズムに仕上げられているの。そしてそのいくつかはもっとアップテンポでポップ調なの。それでもまだポップスとクラシックがクロスオーバーしているわ。」とHayleyは続ける。

このアルバムはほとんどオリジナル・ソングで占められるであろう。Deccaは莫大な時間、お金、作業をそのアルバムに注いでいる。そしてそれは、きちんとしたものを作り出すためにそれだけのことをする必要があるということを意味する。

最初の2枚のアルバムからいくつか人気のある曲を選び、ただそれらを再レコーディングしているだけであれば、今ごろその新しいアルバムはお店に並んでいたであろう。実情は、いつ完成品を手に入れられるか誰もわからない。

何年もかかって作り上げていかなければならないであろうキャリアのために布石を打つことに全てを注いでいる。結局、20歳になったらもうティーン・ソプラノ歌手ではなくなる。彼女のレコード会社やマネージメントが関係している限りでは、彼らの目的は、Hayleyを音楽市場に投入し、有名にすることである。

Hayleyにとって驚きを隠せない新しい曲、特にいくつかの曲は、彼女のための書下ろしである。彼女はいくつかカバー曲を入れる予定である。Cat Stevensの「Moonshadow」やNeil Youngの「After the Goldrush」などを考えている。選曲に関して制限があるとすれば、Charlotte Churchが歌っている曲は選べないということである。

このアルバムがうまくいけば、Hayleyは第2のCharlotte Churchと言われることに終止符を打つことができるだろう。そしてそれは、美しい声を持った一人の若い女性として見られることを意味する。今回録音された歌声を聴けばわかるように、より素晴らしくなっているのはその歌声である。本誌のために特別聴かせてくれた歌を聴く限り、その歌声はまだHayleyその人のものである。しかし、フレージングや歌いまわしに新しい進歩を見ることができる。彼女は2オクターブ半(ハイEまで)の声域やそれぞれの歌の持ち味をうまく表現しているようである。

「私の声はそれほど劇的に変わっていないわ。でもより力強くなっているの。そして、また違った使い方ができるよう習っている最中よ。」とHayleyは言う。このプロセスを手伝っているのは、Hayleyの正式な先生、Dame Malvina Majorである。「彼女はパフォーマーだから。彼女は時々海外でコンサートを開くわ。だからレッスンをしてもらうのはとても難しいの。でもそのレッスンを受けられるときはとても嬉しい。彼女は本当に実践的なことを教えてくれるわ。」とHayleyは説明する。

パフォーマーとしての彼女の経験のためにも、Dame MalvinaはHayleyに、ただ単に声の使い方だけでなく、もっと他の大事なことについても教えている。Hayleyは”宿題”をギリギリまで伸ばさないようにと最近注意を受けている。予定がぎっしり詰まった長期休みのスケジュールもそうだが、彼女は音楽の練習やクリスマスコンサートの準備などやるべきことが山のようにある。「11月にInvercargillに行く予定なの。その後は12月2日に香港に行って、NZに戻ってきて、その1週間後にはChristmas in the Park(訳者注 Aucklandの毎年恒例のフリー・クリスマス・イベント)で歌うのでAucklandに行って、Christchurchにある美容室(Hayleyはスポンサーの一つであるChristchurchにあるGinger Meggs美容室のために感謝の意味を込めて歌を歌う予定)でやることがあって、それからクリスマス・イヴにMelbourneに行ってコンサートをして、クリスマスにはまたNZに戻ってきて、という感じでもうとても忙しいの。だから、全てのことにYesとは言えないわ。そんなことしたらとても忙しすぎることになっていたと思うから。」

Londonでのアルバムレコーディングの後は、Aucklandで大規模なコンサートを開く可能性がある。とても大規模のもののようである。もしアルバムが準備万端整えば、HayleyはUSやUKのTV放送用のためにViaductでコンサートをするだろう。Deccaはとても力を入れている。彼女には既に遠く離れた中国にファンがいて、これは新しいCDのための世界進出の切っ掛けになることだろう。

翌年のほとんどはUKで過ごすことになるだろう。これはレコーディングを終わらせ、またヨーロッパでコンサートをするための基点となることを意味する。しかしそこにはやっかいな問題がある。それはHayleyの6年生としての学校生活である。だから、先生をどうにかしなければならない。それから残される家族の問題もある。Hayleyが一人で海外で生活するには長過ぎる。だからJillは彼女と一緒にいくことになるだろう。今年でさえ、HayleyとJillはLondonに6週間滞在した。Geraldは言う、最後まで負担は残された家族にかかっていた、と。

Hayleyはこの旅行を楽しんでいる。それは今彼女が習っているフランス語の練習のいい機会でもあるからである。彼女はフランス語で歌も歌える。混在したものではあるけれど。彼女は一度、Parisのホテルに滞在中に、部屋の電球が壊れていることを伝えるためにレセプションに電話をした。そしてスタッフは掃除機を持って現れた。

「ホームシックになるわ。特に他の家族が家に帰った時に。そして、今日彼らが学校で何をしたか電話で聞くわ。お母さんは多分「彼らと一緒に帰っていればなぁ」と思っていると思うの。」とHayleyは言う。

今日のHayleyは、その昔、バック・トラックの違うキーから歌い始めてしまったため、一度、ショッピング・モールでのカラオケ大会で入賞できなかったことがある、その頃の小さな少女とは別人である(今の彼女であれば、一度歌うことを止め、もう一度歌い始めるだろう)。また、彼女のバスキングを聞いた人たちが彼女のCDがないかどうか尋ねてきたことがよくあり、最初の自主制作CDを母親と一緒に誰が一つ一つ彼らのために配達していたのであろうか?

Hayleyのキャリアは、フルタイムジョブをたまたま持っている15歳の少女というものである。その上、彼女は学校のことをきちんとこなしたり、友達と一緒に遊ぶ”普通”のティーンエイジャーになったり、スポーツをしたり、いつも皆と目線を同じにするよう求められている。彼女はバレエを止めてしまった。彼女は努めて学校に行くようにしているけれど、皮肉なことに彼女は宿題や練習のための時間や場所が保証されないほど多くの旅行をすることになるので、翌年の音楽の授業は受けられないかもしれない。

彼女は努力しているように見せてはいない。しかし、順風満帆というわけでもない。「もし彼女に家族が「あなたは素晴らしいのよ」と言ってくれるように、そのような人々が外部にいなかったら、彼女は他のことに潰されていたかもしれません。私達の周りには、嫉妬したり振り回す人たちがいます。Hayleyは”Let's Hear It for the Boys”という歌を歌い、そして友達は”えーと、それじゃぁ、あなたの彼はどう?”と言われたことをHayleyが言っていたことを思い出します。彼らはしょっちゅうHayleyを冷やかしていました。」とJillは言う。

彼女が他の人生を選んだであろうという訳ではない。Hayleyは歌のことを話するとき、明らかに顔を紅潮させているのがわかる。彼女は自信過剰になったことはないけれど、どちらかといえば、落ち着いて事にあたっている方である。

「私はちょっとだけナーバスになるわ。ステージに向かう最初の一歩を踏み出すときがハードなの。最初の音符とかフレーズを歌うときが一番ハードかな。だってできる限りうまく歌わなければならないからなの。でも、それがうまくいくと自信につながるの。そして上手く歌えていることを嬉しく思うの。コンサートまでの日を含めて、全てがそのパフォーマンスを築き上げているから安心感があるの。そしてやれやれって思うの!」

ほとんどの人は風邪を引いたり調子を崩しても仕事をやり遂げることができるけれど、歌手にとってはそれは致命的である。それだけでなく、彼女には15歳特有の問題がある。

「大事なことがあればそれが夜になってもやり始めなければならないの。宿題があるときなんて大変よ。そして時々夜の10時半や11時にLondonに電話していることもあるし。飛行機に乗るなんてことは別の次元の問題ね。注意しなければいけないと思う。 リサイクル・エアーから何かを捕まえることは本当に簡単ね。その前に首尾よくしなければいけないし、奮闘しても動じない何かを身に付けなければならないと思うの。」と認める。

そして彼女は、お母さんなしでは上手くできなかったであろう。Hayleyはその母親を一流の手本として見なしている。「私の両親はいいお手本なの。でも、お母さんはそれ以上ね。もしお母さんが私を勇気付けてくれなければ、「きっとできる」なんて思えなかったと思うの。私はいつも「うーん、本当に一生懸命しても、上手くやりとげられないかも」なんて思っていたと思う。「あなたならできるのよ、Hayley。あなたには才能がある。前向きにこなせばできるでしょ?」と言ってくたのがお母さんなの。」

もちろん、もしJillやGeraldにしなければいけない仕事が一杯あったとしても...

「私達には時間がなかったでしょう。」とJillは言う。
「そんなことは起こらなかっただろう。」とGeraldは言う。
「そうではなかった。それはフルタイムジョブだったのです。」
「多分、収入は過去2年間の半分ほどだと思う。」
「全てその中につぎ込んでいます。選択肢はありません。ただそれをするだけです。」
「私達は決して停まることのないジェットコースターに乗っています。そして、ただ加速していくだけ。」

PAUL LITTLE


 

残念ながらいつ世界デビュー版が出るかは書いていませんでした。文脈からは早ければ2月か3月のような気がするのですが。かなり慎重にことを進めているようなので4月頃とみるのが無難?

それにしてもなぜ「彼女には既に遠く離れた中国にファンがいて」という書き方をしたのだろう?本当にいるの?ととても疑問。

とにかく早く日本に来てくれることを願う!

 

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